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喫茶くしゅん

喫茶くしゅん

2022年

2022年12月23日 そういうことなら。
この前何気なくNHKラジオ深夜便の「ラジオ文芸館」、
「そういうことなら」(作・佐原ひかり)というのを聞いたら
寒空の中、サンダルのまま表に飛び出して
ヘッドライトが横を行き交う道の舗道で
空を振り仰ぎ遥かオリオン座に向かって
「自分はこの短篇小説が好きだー!」
と叫びたいくらいくらいの衝動に襲われた。
勿論良識を兼ね備えた大人なので
そういうことはしないのだけど。(笑)
早速、本屋さんで「そういうことなら」所収の
光文社文庫「スカートのアンソロジー」と
佐原ひかりさんの最新作
「人間みたいに生きている」を買ってきて読んだ。
「人間みたいに生きている」はtiktokで話題なのだそうで
「そういうことなら」のクオリティそのままで
長篇が書かれているのなら
これはエラいことだぞ、と思ったのだけど
読んでみたら勿論良質ではあるものの
エラいことにはなってはいない感じだったので
むしろほっとしたのが正直なところである。
だって、もしあのクオリティのまま長篇に仕上げられたりしたら
自転車で国道4号を福島宮城岩手青森と駆け上り
雪の降りしきる津軽海峡にたどり着いたら
群れ飛ぶカモメに向かって声を限りに
「自分はこの長篇小説が好きだー!」
と叫ばなくてはならないからだ。
勿論良識以前の問題で
体力的にそういうことは決して出来ないのだけど。
でも、そこはそれ自分のことだから
暖房の効いた車で国道4号を駆け上り
那須にたどり着いたら
いい感じの温泉くらいは入る可能性はある。(笑)
というわけで皆さん、内容は全然紹介してないけれど
志野さん激賞の
佐原ひかりさんの「そういうことなら」読んでみてください。
今年はこれまで。皆さん、よいお年を。

2022年12月18日 チャーハン大好き木村考。
時々見るスポーツくじのCM。
木村拓哉さんがガチ中華ではなく町の中華料理屋さんにいるやつ。
キムタクがああいう庶民的な店の常連という設定に
そもそも違和感を覚えるのだけど
それ以上に違和感を覚えるのはあの歌である。
「チャーハン大好き木村なのに、今はサッカーに夢中だよー」
別にチャーハンを食べながらでもサッカー中継は見られるわけで
チャーハンとサッカーは対立項ではないのだから
歌詞が可笑しいのではないだろうか。
「野球大好き木村なのに、今はサッカーに夢中だよー」
「チャーハン大好き木村なのに、今はラーメンに夢中だよー」
だったら対立項の比較だから文章は成立し得る。
何か釈然としないものを感じるのである。
そんなこと気になってるのあんただけだよ
という人もいるかもしれない。
でも、そういう理屈が罷り通るなら
こういう歌詞がすべて良くなってしまう。
「ちむどんどん大好き木村なのに、今はきつねダンスに夢中だよー」
「青春ってすごく密なのに、アーニャピーナッツが好き、知らんけど」

2022年12月03日 マヨイガ。
今日は車検だった。
用意を整えて自動車販売所へと車を走らせた。
街道をずっと下って行くと
あれ?どうしたことだろう?
何度も行ったことがある自動車販売所を
見落として通り過ぎてしまった。
おかしいな、見落とすはずないのに。
Uターンして引き返した。
今度は注意深く、見落とさないようにゆっくりと走って行った。
あれ?それでもやはりそれらしい建物は見つからない。
おかしい。
もしかして、あの自動車販売所はつぶれてしまったのだろうか?
いやそんなことはないはずだ、そこそこの大手だ。
今日の車検の予約だってしている。
それでは移転したのか?
移転?
だとしたら、どこに行けばいいんだ。
移転したなんて話聞いてないぞ。
宇都宮だってそこそこ広いのにどこに行けと言うんだ。
いや、待てよ。
新たな可能性として、こういうことも考えられる。
あの自動車販売所は
実はかの「遠野物語」に出てくるマヨイガだったのではないだろうか。
たどり着ける人にしかたどり着けないという
自分は過去に何回も通い続けていたものの
実は実際には存在しない
もしかしたら自分は最近何か邪心を持ったせいで
たどり着けないことになってしまったのではないだろうか。
そうだ、きっとそうに違いない。
などと考えを巡らした末に
車を止めて電話をしてみた。
「もしもし。今日、車検をする者なんですけど」
「はい。毎度ありがとうございます」
「あのですね、来てみたら建物が見当たらないんですけど
 何かありました?」
「すみません。今、建替え工事中でして、一旦更地になってます」
「えっ?」
「で、ですね。ちょうど道の反対側が仮店舗になってまして
 目立たないんですけど、小さく看板出てますから」
「……」
見つからないわけだ。
再びUターンして、やっとたどり着いた。

2022年11月19日 斜陽。
太宰治の「斜陽」を読んだ。
へー、こんな話だったのか。今まで全然読んだことがなかった。
小説らしく始まるものの、途中から勢いが出て来て粗い作りになる。
でも、現代にも通じる語りがあって
当時としてはそれはとても新しかったのではないだろうか。
題名が落ち着いているのに比べて
内容も構成も破れかぶれでエナジーに満ちている。
それにしても上流階級の没落というのは
少しく歴史のある国ならどこの国でもある文学的テーマなのだろう。
要するに今まで体制に守られて甘えて暮らしてきた人達の
自活するように世間に放り出された右往左往。
デカダンだか何だか知らないけど
ある者は酒に溺れ、ある者は悲嘆に暮れて泣いてばかりおり
働きもしないで知識だけは豊富なものだから
西洋の事物(例えば聖書)にあらゆることをなぞらえて
ますます現実から遊離した感覚の中に暮らすようになる。
ヒロインの母親は最後の貴族としての精神の中に亡くなり
弟は新しい時代に馴染むことなく敗北の中に死んでいく。
ただ、最も弱いと見えたヒロインは力業とも言っていい
妄想と現実のアクロバティックな折り合いをつけて
時代に世間に斬り込むような軟着陸を果たす。

2022年11月13日 石見神楽。
昨日、何気なくNHKを見ていたら
少年少女が演じる石見神楽(いわみかぐら)というのを
生中継でやっていて、思わず見入ってしまった。
演目は「大蛇(おろち)」いうもので
舞台に何匹も大蛇がとぐろを巻いていて
スサノオを演じる少年が大蛇に飲み込まれながらも
最後には剣で首を切り落とすというもの。
大蛇の目が光っていたり今風にスケールアップされていて
迫力もあり、何より伝統芸能の格式があってとても良かった。
神話では大蛇の尾から出た剣は
天の村雲の剣(あめのむらくものつるぎ)と称され
のちに草薙の剣(くさなぎのつるぎ)となって
三種の神器になったのだそうな。

2022年11月07日 最近の話し言葉から。
最近の話し言葉から。
「大谷翔平、えぐっ」の「えぐい」。
本来は味で刺激とあくが強い時に使っていた。
例えば渋柿を食べたような場合に。
それが表現や描写がどぎつい時にも使うものへと変わって
今やただただ非常に甚だしいという意味でも使うようになっている。
「ヤバい」に近い意味の変遷をたどっている。
あと最近気になるのが「落とし込む」。
本来は単純に落として中に入れる時に使っていた。
例えばカバンに本を落とし込むとか。
それが人を好ましくない状態に追いやる時にも使われ出して
最近急になのだけど
内容を取り入れる、自分なりに解釈して理解するのように
主にビジネスシーンで使われ始めている。
コロナという状況を落とし込んで企画を立てることが肝要
などのように。
誰がそのように使い出したのかわからないけど
コメンテーターとかで最近よく聞く。
言葉の意味の潮目が変わる時ってあるわけで
以前、松たか子さんだったかな
ドラマのヒロインを演じている時に
意外な人を自分が好きだと気づいた時に
「……あり得ない」とつぶやいたのがとても印象的だった。
以後しばらく若い女性が「あり得ない」を使っていた。
あるいは一部の若い女性が既に使っていたのを
脚本家がいち早く落とし込んで
当時随一の若手女優を使って
えぐい使い方をしたのかもしれない。(笑)

2022年10月30日 長春香。
内田百閒の「長春香(ちょうしゅんこう)」を読んだ。
ドイツ語の先生でもある百閒の元に
長野初(ながのはつ)という若い女性がドイツ語を習いに来る。
英文科の出身で是非ドイツ語も身に付けたいという。
当時としては最高レベルの教養と向学心のある女性である。
百閒の家に足繁く通い、初のドイツ語はめきめきと上達する。
教えていくうちに初が一度不幸な結婚をしていたことや
子どもを流産したことがあることなどがわかってくる。
ドイツ語を教えるのはそろそろ終了という頃
百閒は初の家に招かれて鶏鍋をご馳走になる。
両親も混じえての温かいもてなしを受け
初がいつも勉強しているという机も見て
百閒は鳥の形をした一輪挿しが置いてあるのを記憶する。
初はその後、養子を迎えて再婚し、赤ちゃんも生まれそうだ
というのを百閒は風の噂に聞く。
そして、関東大震災が起こる。
初の家あたりの被災が酷いというのを聞いて
百閒は急ぎ暑い中、出かけていく。
着くと一面焼け野原で、焼死体がごろごろと転がっており
初の家があった辺りで百閒は
所々焦げた鳥の形をした一輪挿しを見つけ持ち帰る。
家に持ち帰っても焼かれたせいか温かい
その一輪挿しを自分の机に置き、百閒は涙を流す。
その後も、初がもしや運良く難を逃れて生き延びてやしないかと
探し求めるものの百閒は終ぞ見つけることができない。
怪我をした母親と共に身重の体で逃げるところを見た
という人をやっとのことで探しあてたばかりだった。
随分時間が経ってから、百閒は仲間を家に呼んで
長春香を炊き、初を偲ぶ会を開く。
長春香とは白檀やら数種類の生薬を刻んで
調合した上等の香木だそうな。
作家の小川洋子さんは
この先もうこの作家の作品しか読めない
という状況に陥ったら、内田百閒を選ぶと言っていた。
そう思う人の気持ちのわかる一品である。

2022年10月16日 スーパー。
別の日、たまたま用があって夜中に車で外出をして
帰りしな1年に1回行くだろうかというスーパーに立ち寄った。
2階の屋上駐車場に車を止めて
1階の売り場に降りるためにエレベーターに乗った。
すると、扉が閉まる瞬間に
自分より体の大きい(ということはとても大きい)
男の人が入ってきた。
1階だけ降りるエレベーターとはいえ
夜中というのもあって、自分は念のために注意を払った。
簡単に言うと、万が一相手がガッと来たら
エルボーでも食らわせる準備である。(笑)
結果、何事もなく数秒が過ぎて1階の扉が開き
自分はボタンを押して
「どうぞ、お先に」と相手が降りるのをうながした。
「ご親切に。ありがとうございます」
と、相手は出て行った。
言葉遣いからして、悪い人ではないらしい。
買い物が済んで、今度は2階の屋上駐車場に行くために
またエレベーターに乗った。
するとまた、その男の人が乗り込んできた。
互いにビニール袋を抱えている。
「また、同じタイミングですね」
と、その人が話しかけてきたので
「ははは。そうですね」と答えながら
でも自分は、エルボーを食らわせる態勢は
念のため取っておいた。
ドラマだと一度は油断させておいて
ガッと来られることもなくはない。(笑)
結果、また数秒が過ぎて何事もなく2階の扉が開いた。
「今度はお先にどうぞ」
と、その人が言うので
「ありがとうございます」と言って後にした。
たぶんとてもいい人だったのだと思う。
でも、ドラマだと、先にエレベーターに乗ってるヤツの方が
ガッと来るヤツの時もあるよね。(笑)

2022年10月16日 コンビニ。
週に1回くらいは訪れるコンビニ店に行って
お会計を済まそうとしたら
奥から別の店員さんが出てきて
「○月○日に訪れたお客様でいらっしゃいますね。
 その時、このお品物を入れ忘れてしまいました。
 誠に申し訳ありませんでした」
と、缶コーヒーを出してきた。
「あーっ」すぐにわかった。
1週間前、この店に来た時、確かに買ったと思ったのに
家に帰ったらなかったので、車の中に落ちてるのだろうかと
一度車まで戻って確かめたことがあった。
車の中にもなかったので、駐車場で落としたか
それともレジで店員さんが入れ忘れたか
そもそも買ったつもりで買ってなかったのか、謎だった。
1週間経ったので、そんなことがあったことすら忘れていた。
そうか、レジで店員さんが入れ忘れていたのか。
「冷えているものとお取り替えしますね」
と、冷たいものと交換してくれて
「誠に申し訳ありませんでした。
 今後気をつけますので
 引き続き当店のご利用をお願いいたします」
と、店員さんみんなに頭を下げられて、少々照れくさかった。

2022年10月09日 ブルックリン・フォリーズ。
ポール・オースターの「ブルックリン・フォリーズ」を読んだ。
「ブルックリン愚行録」くらいの意味だろうか。
大人の、ほろ苦い、滋味あふれる物語で
中高年の、特に少し人生に疲れた男性にお勧めの作品だと思う。
保険会社を定年退職して、妻ともうまくいかず離婚をし、
ガンの宣告も受けて、人生のどん底にいた主人公は
せめて生まれた地であるブルックリンで
残りの人生を過ごそうと思い、移り住む。
すると意外にも
そこで思わぬ人達との出逢いがあって
予想だにしない事態にも巻き込まれ
灰色だと思われていた余生に
ほのかに光が差し始める、という話。
アメリカ人特有の乾いたユーモアというのだろうか。
読んでいて一度ならず笑ってしまうところがあった。
そういえば「スモーク」も不思議と心に残る映画だった。

2022年10月02日 六本木クラス。
で、「六本木クラス」は毎週録画して見ていたのだけど
当初は復讐譚かぁと思って見るのがつらい感じがあったものの
新(竹内涼真)と葵(平手友梨奈)の恋模様が
描かれるようになってからだんだん面白くなってきた。
具体的に言うと「ディフェーンス」のところと
「馬鹿なこと言いなさんな」のところ。
このドラマの微笑ましいところは
会社もそこそこ大きくなって、みんないい歳なのに
恋愛模様は中学生のそれのようで
頑なに前に進まないところである。
のわりには、とんでもない暴力に全員が晒されていて
「梨泰院(イテウォン)クラス」から
持ってきたというのがあるのだろうけど
どこかアンバランスな異国の物語感が多分にあった。
一番謎なのが
新は優香(新木優子)が好きだったはずなのに
ラスト2回で急に「やっぱり俺は葵が好きだ」みたいになって
周りは「みんな知ってたよ」とか言っているのだけど
初回から熱心に見てた自分は全く気づかなかったことである。
あのディフェンスが斯くも強力だった、ということか。(笑)

2022年09月23日 今日は塾に行くふりをして。
NHKEテレの「青春舞台2022」を見た。
そして、今年の最優秀校に選ばれた
松山東高校の「今日は塾に行くふりをして」を見た。
松山東高校の上演が放送されると知ってから
楽しみで楽しみで仕方なかった。
全国のご同輩もきっとうなずいておられることだろう。
あの曽我部マコト・越智優コンビプレゼンツである。
ネタバレになるので
内容についてはしゃべるつもりはないけど
いい意味で期待を裏切る
自然と笑いがこみ上げる
胸にじんと来る
まさに今という時代を青春を切り取った作品だった。
「ホット・チョコレート」「七人の部長」
「夏芙蓉」に並ぶ名作だと思う。
見終わってからしみじみ思うのだけど
「今日は塾に行くふりをして」という題名がしゃれてる。

2022年09月12日 徒然なるままに。
「超見やすいパワーポイント」7つのコツ
というのが記事になっていた。
1 色が多過ぎないか?
2 余白は十分あるか?
3 スライド内に複数メッセージがないか?
4 言葉のダブりがないか?
5 表が見やすいか?
6 グラフが見やすいか?
7 ライン(線)が揃っているか?
この中のいくつかは劇にも当てはまるような気がする。
1 色が多過ぎないか?
この劇は「和食」で行くよ、と演出が言っているのに
洋食、中華、イタリアン、とバラバラな演技のテイスト
を持ち出されてちぐはぐになるとか。
7 ライン(線)が揃っているか?
脚本内でのそれぞれの役割を
しっかりと抑えた上で演技してほしいのに
わかってないで演じてしまうとか。
3 スライド内に複数メッセージがないか?
劇というのは決してテーマの僕(しもべ)ではないのだけど
重たいテーマがあるにもかかわらず
前半、安易に笑いを取ることに走ってしまうとか。
2 余白は十分あるか?
この歳になって思うのだけど
そもそもいろんな解釈が出来るような劇があっていいと思うし
それこそ劇はテーマの僕でなくてもいいと思うし
観客がただただ圧倒されるようなのではなくて
リラックスして茶飲み友達とのどかにおしゃべりするような
ツッコミどころがいろいろあるようなお芝居も
それはそれで素敵だな、と思うのである。
と、徒然なるままに日暮らしパソコンに向かいて。(笑)

2022年09月11日 下見。
今日は散歩をしてたら、おばあちゃんに声をかけられた。
「あの、お聞きしたいんですけど」
「あ、はい。何でしょう」
「○○保育園はどこにありますか」
そこはまさに○○保育園の前だった。
「○○保育園……ここじゃないですか」
「ここですか」
「はい。ここですね」
「ありがとうございます。
 いえね、今度、敬老の日で呼ばれてましてね、
 どこなんだろうと思って、下見に来てみたんです」
「そうですか、下見に」
「ええ」
何事も下見って大切ですね。(笑)

2022年09月04日 大化の改新クラス。
NHK「歴史探偵」の「飛鳥の古墳ツアー」
を見たら面白かった。
何でも2000年代になって
続々と古墳の主の特定が進んでいるのだそうな。
渡来人の技術を取り入れた古墳作りは
飛鳥時代は元々、朝鮮由来の方墳(四角形の古墳)が多かった。
当時は天皇家も蘇我氏も遍く方墳で作られている。
ところが乙巳(いっし)の変(大化の改新)が起きてから
天皇家の古墳は八角形で作られるようになったという。
蘇我氏との差異を示したものだと考えられる。
そして壬申の乱など天皇家同士の争いが起こるようになると
天皇と皇子とでさらに差異を設けるために
皇子の墓には円墳が用いられるようになったという。
2018年に小山田古墳が
一辺80メートルの巨大な方墳であることがわかった。
というのは、この小山田古墳は真っ平らに慣らされていたため
実像が最近明らかになってきたというわけである。
近くには一辺40メートルの方墳、菖蒲池古墳があって
同じ形の石棺が2つ安置されていたことから
次のようなことが推測されるという。
乙巳の変の後、
蘇我蝦夷が小山田古墳に、蘇我入鹿が菖蒲池古墳に一度は葬られた。
ところが大化の改新の新政府内で
小山田古墳のような巨大な古墳は目障りだ、と主張する者が出てきた。
そこで、蝦夷の石棺を菖蒲池古墳に移し入鹿のと並べ
小山田古墳は跡形もなく真っ平らにした。
そのことからも蘇我氏への激しい憎悪というものが見て取れる。
そう考えると「六本木クラス」の
香川照之は蘇我蝦夷、早乙女太一は蘇我入鹿、
竹内涼真は中大兄皇子、平手友梨奈は中臣鎌足に見えてくる。

2022年09月03日 左上右下。
ご飯の椀が左、お味噌汁の椀が右、というマナー。
古来、神様にお供えをする時の位置から来ているという。
米作は東洋人を縄文時代から弥生時代に引き上げたくらい
価値のあるものなので、ご飯を置く位置にも価値が生まれ
そこから日本には左上右下(さじょううげ)という
左側を上位とする考え方が広まったという。
その他、汁椀はご飯茶碗よりも高さが低いため
奥にある主菜を取りやすいように
汁椀を右側に置いているという説もあるという。
でも、そう考えると
ご飯の椀が左、お味噌汁の椀が右、というマナーは
最早たいした根拠がないのだな、と思う。
現代人がそこまで神事に縛られる必要もないし
汁椀とご飯茶碗って、現在そんなに高さが違うとも思えない。
自分なんかが思うのは
右利きの場合、汁椀が右にあった方が
ご飯茶碗を取るにせよ、奥にある主菜を取るにせよ
右手がぶつかってこぼしやすいのではないかと考える。
だから「ご飯の椀が左、お味噌汁の椀が右」なんて
目くじら立てて言うことでもないし
え?そんなマナーも知らないの?なんて
軽蔑される必要も全然ないと思う。
むしろ現代にそぐわないマナーを厳然と広げる行為こそ
本当の意味で、マナーがなってない、と思うのだけど
どうだろうか。

2022年08月23日 ヤモリ様。
自宅のささやかな庭の隅に
のこぎりやら金づちやらを入れた箱を置いているのだけど
この前、何気なく中を覗いたら
ヤモリ様が入っておられるではないか。
少しでも涼しいところでお休みをされていたご様子である。
ヤモリ様は今年もご健在であられるようで安心した。
そして昨日、人の小指くらいの大きさの
子どものヤモリ様が植木鉢のあたりをご散策されているのを確認した。
かわいいお子様もすくすくとご成長されているようで
まことに結構な話である。
そして今日、のこぎりやら金づちやらを入れた箱を再び覗いたら
今度はトカゲ様がご休息をされていた。
うちは爬虫類の皆様にとってどうも居心地がいいようである。

2022年08月16日 ドキュメント72時間。
NHKの「ドキュメント72時間」歴代ベスト10を
録画して全部見た。
どの回も人生の哀歓というべきものが滲み出ていて
夏のひととき、しみじみとした時間を過ごすことができた。

1位「秋田・真冬の自販機の前で」
2位「大病院の小さなコンビニ」
3位「海が見える老人ホーム」
4位「阿蘇・ライダーたちの夏 10年に一度の撮影会」
5位「日本ダービー大行列」
6位「長崎 お盆はド派手に花火屋で」
7位「樹木葬 桜の下のあなたへ」
8位「北の大地の学生寮」
9位「夏コミ!日本一のコンビニで」
10位「恐山 死者たちの場所」

どの回も良かったけど自分的には
「秋田・真冬の自販機の前で」
「海が見える老人ホーム」
「日本ダービー大行列」
「北の大地の学生寮」が特に良かったかな。

10作品を見終わって思うのは
「自分の祭」をすることの大切さ、である。
例えば「1年に1回の日本ダービーに3日前から並ぶ」
というのが「自分の祭」なのであり
お金や権威を求めることとは
全く無縁の自由な時空間に漂う行為で
そこで出逢う人達は損得勘定なしの
袖振り合うも多生の縁なのである。
猛吹雪の中で、うどんそばのレトロな自販機の麺をすするだけでも
密やかではあるけど確かな「自分の祭」なのであり
インスタで開示するような行為とは無縁の
内的充足というものがこの「ドキュメント72時間」では
取り上げられているのも魅力の1つなのだと思う。

2022年08月12日 サボテン2。
7月に白い花が咲いたミニサボテン。
伸びた長い茎をそのままにしておくと
弱ってしまいます、とどこかに書いてあったので
茎を切って、ご苦労さまという感じで
そのままにしておいた。
すると、少し前からその同じところに
黒い綿のようなものがまた出てきて
「ん?」と思っていた。
すると昨日今日の1、2日で
またもや10センチは超えるかという茎が伸びてきて
再び大ぶりのギザギザした白い花が咲いた。
サボテンって一度咲いたらしばらく咲かないイメージが
勝手にあったので驚いた次第である。
よほど環境がいいからまた咲いたのか
それともよほど子孫を残さなくてはならない
危機的状況なのか。
謎である。
どっちにしても、またテキーラで乾杯しますか。

2022年07月28日 抜け穴。
で、自分が幼稚園の時に
もともと古い商家の家の友達がいて
時々遊びに行っていたのだけど
ある日「うちの秘密見せてあげるよ」と言われて
ついて行くと地下みたいなところに連れて行かれて
太い木で出来た格子で入り口みたいなところが囲ってあって
「ここね、宇都宮城と地下道でつながってるの」と言われて
幼稚園児ながらに「えっ?」と思った記憶がある。
その家は道路拡張で今はなくなってしまって
友達も引っ越してしまって交流はなくなってしまったけど
地下道は今でも残ってるのではないかと密かに思っている。
抜け穴は確実にあったのである。

2022年07月28日 宇都宮城釣天井事件。
元和8年(1622年)、出羽山形の最上氏が改易された際
本多正純は上使として山形城の受取りに派遣された。
最上領に入った正純は、周辺諸大名とともに無事に城を接収した。
しかし、その時、実は数日遅れで
伊丹康勝と高木正次が正純糾問の使者として遣わされていた。
伊丹らは、鉄砲の秘密製造や宇都宮城の本丸石垣の無断修理、
さらには秀忠暗殺を画策したとされる
宇都宮城釣天井事件などを理由に
11か条の罪状嫌疑を突きつけた。
正純は最初の11か条については明快に答えたが
そこで追加して質問された3か条については
適切な弁明ができなかった。
その3か条とは、
城の修築において命令に従わなかった
将軍家直属の根来同心を処刑したこと、
鉄砲の無断購入、
宇都宮城修築で許可無く抜け穴の工事をしたこととされる。
本多正純は以前から秀忠の意向に背くことが多く
特に福島正則改易の諌止と
宇都宮拝領の固辞と拝領後の上知申立は
秀忠の面目を損なう行為として秀忠の怒りを買っていた。
正純は高木、伊丹から罪状嫌疑を突きつけられるとともに
出羽国由利5万5千石に国替えとの提案を受けていた。
しかし、謀反に身に覚えがない正純は毅然とした態度で応じ
国替えを固辞した。
これがさらに秀忠を怒らせ、本多家は改易され
結局は出羽国横手にて幽閉された。
正純の失脚により、家康の側近を固めた一派は完全に排斥され
土井利勝ら秀忠側近が影響力を一層強めることとなった。

戦国時代
家康を支えて天下を取らせるまで導いた武将の旧家臣団と
この後、秀忠を支えて日本を切り盛りしていかなきゃならない
官僚の新家臣団との争い。
旧家臣団からしたら、誰のお陰で天下が取れたと思ってるんだ、だし
新家臣団からしたら
もう戦の話はいいから大人しくしてもらえませんか
なのだろう。

2022年07月28日 島田兵四郎。
で、「真田太平記」の話の続き。
島田兵四郎って、どういう人生を送ったのだろう
と調べてみたら、以下の通りだった。

島田利正(しまだとしまさ)
父の領していた三河矢作城にて生まれ
後に父と同じく徳川秀忠に仕えた。
小田原征伐の鉢形城攻めや
関ヶ原の戦いでの働きぶりが見える。
慶長18年(1613年)から寛永8年(1631年)まで
江戸南町奉行。
最上騒動の際、幕府の使者となる。
それらの功績により従五位下弾正忠に任官された。
江戸南町奉行時代、現在の北八丁堀付近に屋敷があり
付近にあった楓川にかかる橋が
官名にちなんで弾正橋と名付けられた。

大馬鹿どころか江戸南町奉行まで務めている。(笑)
で、最上騒動なのだけど
出羽山形藩の最上家に長年続いたお家騒動で
藩の世継ぎを巡る謀殺に継ぐ謀殺の
本当にしょーもない騒動である。
あまりにゴタゴタしているので
幕府が介入することになり
その沙汰を知らせるのに使者として
過去に実績のある?島田利正が選ばれたというわけだ。
ただ如何せん相手が
武士の面をかぶった武士ではないようなヤツらなので
さぞや兵四郎も難儀したことだろう。
実はその怨嗟が
宇都宮釣り天井事件までつながるというのだから
驚きである。

2022年07月24日 カルガモの親子。
昨日、車を運転してたら
4車線と4車線が交差する大きな交差点に差し掛かった。
すると、四方いずれのたくさんの車が止まったままである。
ん?何だ?と少し見ていたら
何と、カルガモの親子が横断しているところだった。
かわいい子ガモが5・6羽はいるだろうか。
母ガモが気をかけながら、それでも無事に横断していった。
誰も人間のサポーターみたいな人がいなかったので
本当に無事に渡れてよかった。
にしても、なぜカルガモだけが
あんな小さい子を連れてお引越しをするのだろう。
謎である。

2022年07月10日 サボテンの花。
ミニサボテンの鉢をいくつか持っているのだけど
そのうちの1つ棘無短毛丸の花が咲いた。
何日か前から黒い綿のようなものが表皮にあって
「ん?」と思っていた。
すると昨日今日の1、2日で
そこから10センチは超えるかという茎が伸びてきて
その先端に大ぶりのギザギザした白い花が咲いた。
まさに生命の神秘という感じである。
今日は写真を撮ったりして過ごした。
お祝いに夜はテキーラでも飲みますか。(笑)

2022年07月03日 蜃気楼博士。
録画してあったNHKBSプレミアムの
少年ドラマシリーズ「蜃気楼博士」完全一挙再放送を見た。
実は少年ドラマシリーズは「風土記」並みに現存するものが少ない。
今回の「蜃気楼博士」も演者の1人が
家庭用ビデオデッキで録画していて
それをリマスター化してやっと放送に漕ぎ着けた経緯がある。
何でも当時、家庭用ビデオデッキは
家賃の20倍の値段がしたそうで
なかなか庶民の手が出るような代物ではなかった。
そもそも当のNHKも当時はテープ自体が貴重品だったせいもあって
違う番組にと次々に上書き撮影してしまったので
ほとんど残らなかったとどこかで聞いたような気がする。
というわけで、「蜃気楼博士」全12回を有難く拝見した。
昔、アメリカでドクター・ミラージュとして活躍していた
奇術師久保寺俊作は現在は日本に戻ってきて隠居生活を送っている。
そこに部屋から一歩も出ずに守護霊を使って
別の場所にいる人を殺すことができると宣言する
霊媒師峠原忠明が現れる。
たとえ出来たとしても、それは何かしらのトリックがあるに違いない
と久保寺は峠原の挑戦を受けることにする。
そして、実際に起こる殺人事件。
峠原は部屋から一歩も出ないばかりか
部屋にあったはずの短刀が消え
それが殺人現場で凶器として使われていた。
そして、事件が解決しないうちに
第二、第三の心霊殺人が起こる。
しかも、第二、第三の事件は峠原が部屋に入っているところが
全国に生中継された中で引き起こされる。
久保寺は峠原のトリックを見破ることが出来るのか。
それとも、それは本当に守護霊が行った心霊殺人なのか。
今回は3回に分けて放送されたのだが
毎回、番組の最後に
泉麻人さんと犬童一心さんが感想を述べ合う
おまけもついていた。
「それにしてもキャスト全員が馬鹿すか煙草を吹かしている」
「蜃気楼博士を演じた井上昭文さんは
 普段は脇役、それも時代劇の悪役などをやることが多いけど
 今回は主役なので、命が尽きてもいいくらいの熱演をしている」
「当時と同じく六時台に見たかった」
などと「テレビ探偵団」よろしく楽しいものになっていた。

2022年06月22日 真田太平記。
池波正太郎の「真田太平記」第一巻を読んだ。
この第一巻なのだけど、相当前に買って
何度も最初の方だけ読んでは挫折していた本である。
今回はスムーズに読み通せた。なかなか面白かった。
でも、十二巻まである。(笑)
真田昌幸で調べたら以下のようなエピソードが載っていた。

真田昌幸が上田城に立てこもった折
敵の徳川秀忠は冠が岳にいる先陣に連絡する必要に迫られた。
秀忠は島田兵四郎という者を伝令として出した。
兵四郎は地理がよくわからなかったうえ
上田城を避けて迂回していたのでは時間がかかりすぎると思い
何と上田城の城門に堂々と馬を付けて
「私は江戸中納言(=秀忠)の家来の島田兵四郎という者。
 君命を帯びて、我が先陣の冠が岳まで連絡に行くところです。
 急ぎますので、どうか城内を通してくだされ」と叫んだ。
味方に連絡するために、現在交戦中の敵城を通してくれ
というのだから、とんでもない話である。
番兵たちもあまりのことに仰天してしまい
真田昌幸に報告すると
「何と肝っ玉の太い武士だろう。
 通してやらねばこちらの料簡の狭さになる。
 門を開けてやれ」と門を開けるように指示をした。
「かたじけない」と城内を駆け抜け、裏門を抜ける際
兵四郎はちゃっかりと
「帰りももう一度来ますので
 また通してくだされ」と言ったという。(笑)
その言葉通り、再び兵四郎が帰りに城に立ち寄った際
真田昌幸は自ら城内を案内し、そして無事に帰したという。

戦国時代の数あるエピソードの中でも
指折りの面白エピソードではないだろうか。
大馬鹿には、こちらも大馬鹿になって対応する。
素晴らしき哉。

2022年06月15日 DAO(分散型自律組織)。
Web2.0
個人に関するデータの大半が
GAFAをはじめとする巨大IT企業に集中管理される世界。
プライバシーやセキュリティー上のリスクが伴なう。
録音されたプライベートな音声や
デバイスに保存されている音楽・映画
連絡先の名前や電話番号、位置情報等が
監視対象であることが
GAFAの元従業員によって報告されている。

GAFA
グーグル、アップル、フェイスブック=現メタ、アマゾン。

Web3.0
GAFAを始めとする巨大IT企業から
テクノロジーを分散させた世界。
データをネットワーク上で分散管理することで
さまざまなリスクに対処することを理想とする。

ブロックチェーン(分散型台帳)
Web3.0の基盤となる技術。
もともとは取引履歴の分散管理を念頭に開発された技術。
取引履歴(ブロック)が暗号技術によって
過去から1本の鎖のようにつなげるかたちで記録され
1つのブロックは
合意された取引記録の集合体と
各ブロックを接続させるための情報(前のブロックの情報など)
で構成される。
ブロックチェーンとは
このブロックが複数連結されたものを指す。
ある取引について改ざんを行うためには
それより新しい取引についてすべて改ざんしていく必要が生じるため
データの破壊・改ざんが極めて難しい。
ブロックチェーン化された取引記録は
特定の管理主体が存在する通常の集中管理型システムと異なり
複数のシステムがそれぞれ情報を保有し
常に同期が取られる「分散型台帳」という仕組みで管理される。
そのため、一部のシステムが停止・故障しても
システム全体の運行・稼働に与える影響を抑制することが可能となる。

NFT(非代替性トークン)
Non Fungible Tokenの略。Fungibleは代替可能性。
直訳すると非代替性トークンとなる。
ビットコインやドル紙幣のように
全く同じ価値を持つ「代替可能」な資産ではなく
それぞれが固有のものである特殊なトークンのこと。
美術品や録音物、仮想現実の不動産やペットなど
デジタル資産の所有権を認証するために使用できる。
NFTでは
デジタルデータに紐づけられたブロックチェーン上に
製造者名、所有者名、過去の所有者の履歴のような情報が含まれる。
つまり、鑑定書付きのようなものであって
所有証明書の記録も残すことから
替えの効かない、固有のデジタルデータとすることができる。

と、長々と載せたけど
DAO(分散型自律組織)っていいなぁと思って調べていたら
ぞろぞろと関連ワードとして
上記のようなものが出て来た。

DAO(分散型自律組織)
Decentralized Autonomous Organizationの略。
会社組織ではなく、プロジェクトごとに立ち上げられる組織。
個人は自分が興味を持ち
貢献できそうなDAOに「参加する」というかたちの働き方。
作品ごとに制作チームが立ち上げられて
スタッフや俳優を集めて進められる映画制作のような在り方。
ヒエラルキーのないフラットな関係性の組織構造を持つため
派閥争いや出世競争のような
無駄なエネルギーに費やされることがない。
手を挙げても仕事にありつけないこともあるが
通勤、転勤、左遷、ぼっち、飲み会、冠婚葬祭、
パワハラ、セクハラ等の
組織ゆえの不自由さ、煩わしさからは解放される。
ただし、純粋な能力主義への移行とも言えることから
年齢を重ねても派遣社員、契約社員のような扱い、
賞与が続くことも考えられ、
ローンが組めない等の先が見えない、
金銭的に困窮する危険性も考えられる。
自由と引き換えに
同時に絶え間ない自己研鑽、
精神的なタフさも要求される。

2022年06月12日 ガソリンスタンド。
先週、あるガソリンスタンドに立ち寄ったら
女性の従業員の方に声をかけられた。
「あの、もしかして星野先生ではないですか?」
「ああ、はい。そうですけど
 ……えーと、どなたでしたっけ?」
「姿川中の演劇部でお世話になった〇〇です」
「え……あ、そうか……確かにいたような
 ……ここで働いてるんですか?」
「はい……星野先生に似ている人が来たな、と思ったので」
「そうですね、似てますね、本人なので」
と、その後少しばかり話をした。
大人になっているので
なかなかこちらから気づくというのは厳しいですね。

2022年06月04日 小論文。
近年、大学入試の小論文でどんな問題が出されたか調べてみた。

あなたは先生の役割として大切なことは何だと考えますか。また、
先生になるために大学で何を学びたいですか。
(神戸親和女子大学発達教育学部)

源氏物語や古今和歌集、更級日記、徒然草など、古い時代の日本
文学を学ぶ意義について、あなたの考えをまとめてください。
(鶴見大学文学部日本文学科)

ネット通販の利用が進む中で、リアル店舗の役割はどのように変
わるのでしょうか。述べよ。(松山大学経営学部)

AIが台頭してきている現代社会における「人間の特性」につい
て。(下関市立大学経済学部)

「ゲーム依存」とどのように向き合うべきか。
(豊橋創造大学保健医療学部)

キリスト教には、「受けとるより与える方が幸福である」という考
え方がある。現代において、この言葉にはどのような意味があると
考えられるか。(山梨英和大学人間文化学部)

真言密教の特徴について論じなさい。(種智院大学人文学部仏教学科)

ラストシーンが印象深い映画を1本選びそれについて述べなさい。
そのシーンが印象に残る理由も書きなさい。(日本映画大学映画学部)

「いい問いを立てることは、いい答えを出したも同然だ」
と言うけれど、にしても、真言密教の特徴って何だろう。

2022年05月29日 おにぎり。
横浜市立大学の医学部医学科の小論文で
次のような問題が出されたという。
あなたは高校の教師である。ある日、授業の一環として稲刈りの体験
作業があり、僻地の農家に田植えの体験授業に生徒を連れて出かけた。
稲刈りの体験作業の後、農家のおばあさんがクラスの生徒全員におに
ぎりを握ってくれた。しかし、多くの生徒は他人の握ったおにぎりは
食べられないと、たくさん残してしまった。
問1
あなたは、おにぎりを食べられない生徒に対しどのように指導しますか。
問2
あなたはこの事実をおばあさんにどのように話しますか。

医学部を目指す学生に出されたというのがポイントで
データから導き出される事実をただ伝えるのではなく
事実をしっかりと踏まえた上で、自分の確かな見識を持つとともに
何より相手が心を持った人間であることを理解した上で
何をどうどこまで伝えるかを問う問題なのだと思う。

しかし、衛生に関する認識が高まるとともに
調理人が素手で食物に触れるということが少なくなった。
昨今は回転ではないお寿司屋さんも
ビニール手袋をして握っているのだろうか。
地面に落ちた食べ物は3秒までなら大丈夫みたいな
3秒ルールが存在していた昭和の子どもだった自分には
最早よくわからない世界である。

2022年05月15日 ウクライナ侵攻。
池上彰のニュース解説「ウクライナ侵攻総まとめ」より
○なぜロシアは攻め込んだ?
→かつてはソ連だったウクライナが
 NATO(北大西洋条約機構)に加入しようとしたから。
 もし加入されたら米軍やドイツ軍の基地を作られてしまう。
○どんな理屈で攻め込んだ?
→ウクライナ東部の住民(ロシア語を話すロシア系住民)
 を保護するため。
 プーチンはウクライナに住むロシア系住民に
 以前にロシア国籍を与えていて
ロシア国民を守るという理屈で。
 実際に2014年以降
 親ロシア武装勢力とウクライナ軍との間で戦闘が行われている。
 双方合わせて1万4千人が亡くなっている。
○なぜ呼び方が変わった?
キーウ(キエフ)オデーサ(オデッサ)
 ハルキウ(ハリコフ)チョルノービリ(チェルノブイリ)
 →ウクライナに協調を示すために
  ロシア語読みからウクライナ語読みに変わった。
○ロシア系住民がいて独立を宣言している非承認国
 ウクライナ
 ルガンスク人民共和国、ドネツク人民共和国
 モルドバ
 沿ドニエストル共和国
 ジョージア
 南オセチア共和国、アブハジア共和国
○ウクライナはなんで粘れている?
 →米英を中心にウクライナに武器を提供しているから。
  対戦車ミサイル「ジャベリン」等
○アメリカの目的が変わってきた
 ウクライナの防衛からロシアの弱体化へ
 二度とロシアが他国を侵略できないようにする。
○なんでプーチンの支持率は高いの?
 →国営テレビしかなく政府に都合の良い情報しか受け取れない。
  SNSが遮断されている。
→プーチンを支持しないとは言い出しづらい環境がある。
  反戦デモで多数の市民が拘束・逮捕されている。
○ロシア人の中でも反戦活動を行っている人もいる。
 お札や硬貨にメッセージを書く。
 大学のトイレの内側にメッセージを書く。
 ビラのQRコードから情報にたどり着けるようにする。
○今年の1月から3月にロシアから388万人が国外に出ている。
 高学歴の若い人がロシアから逃げ出している。
○民間人を攻撃してはいけない
 インフラを攻撃してはいけない
 などの戦争のルールからロシアは遠ざかりつつある。
○経済制裁が効いていないのでは?
 →経済制裁に参加しているのは世界の40ヶ国のみ。
 →ロシアは天然資源が豊富で、農業も盛んなため自給自足が出来る。
  国民はダーチャ(菜園つきセカンドハウス)で
  自活する習慣がある。
○難民はどれくらいいる?
 ウクライナ国民の5人に1人、830万人が難民になっている。

2022年05月11日 素数。
「素数の魔力に囚われた人々
 リーマン予想・天才たちの150年の闘い」を見た。
NHKの2009年の番組である。
そもそも素数(プライム・ナンバーズ)とは
1と自分自身でしか割り切れない数である。
2・3・5・7・11・13……のような。
その出現の仕方はバラバラで
全く規則性は見つからない、と思われていた。
一番初めに素数に何らか暗号が隠されているのではないか
と考えたのはレオンハルト・オイラーで
まずすごい桁数の素数まで調べ上げた。
そして、素数が円周率に関係のあることを導き出す。
次に素数の謎を解いたのは
カール・フリードリッヒ・ガウスで
素数がらせん(自然対数の定数e)
に関係があることに辿り着いた。
そして、ベルンハルト・リーマンが登場する。
リーマンはオイラーが導き出した式を少し変えたゼータ関数を考え
さらにそれを立体的なグラフに描いてみることにした。
するとグラフの高さがゼロになるゼロ点があることに注目し
いくつか求めたゼロ点の位置が一直線上にあることを発見する。
リーマン予想とは、以下のようなものになる。
「ゼータ関数の非自明なゼロ点は、すべて一直線上にあるはずだ」
もしリーマン予想が証明されれば
素数の並びに何かしらの調和が隠されていることの証明になる。
以後、数多の天才数学者たちがリーマン予想に挑むものの
返り討ちに遭うはめになる。
映画「ビューティフル・マインド」のモデルにもなった
ジョン・ナッシュは数学界の難問を4つも解いた勢いで
リーマン予想にもチャレンジしたが
統合失調症に陥ってしまい、数学界からも身を遠ざけることになる。
ナチスの暗号機エニグマの解読で名を上げた
アラン・チューリングも勇んでリーマン予想に挑んだ。
巨大な計算機を使って
一直線上にないゼロ点を1つ見つけようとした。
つまりはリーマン予想は間違っていることを逆に証明しようとした。
ところが3ヶ月経っても巨大計算機は見つけることは出来なかった。
2年後、チューリングは謎の死を遂げる。
「リーマン予想に立ち向かうのは自殺行為だ」
と数学界ではそれ以後囁かれるようになる。
ところが時が過ぎて
実に意外な形で急展開が訪れる。
アメリカプリンストン高等研究所で
数学者ヒュー・モンゴメリーは
ゼロ点が一直線上にあるかではなくて
ゼロ点同士の間隔に注目していた。
素数同士の間隔とも違って
付かず離れず、でも規則らしい規則なく間隔は続いている。
研究所には午後3時のお茶の時間というものがあって
分野を超えて研究者達が集まり
雑談談笑するのが習わしとなっていた。
ある日、モンゴメリーはコーヒーを片手に
友人と話していた。
すると、その友人が近くにいた別の研究者を
モンゴメリーに紹介した。
紅茶を楽しんでいた量子物理学者のフリーマン・ダイソンである。
それで、モンゴメリーとダイソンは初対面ながら
話をすることになる。
モンゴメリーは自分の研究分野
ゼロ点同士の間隔についての話をした。
間隔についての数式を立てるとしたら
例えばこんな感じだと書いて見せた。
ほとんど興味のない話を聞かされて
少々敬遠気味のダイソンだったが
モンゴメリーの書いた数式を見て驚いた。
それはウランなどの重い原子核の
エネルギーの間隔を示す式とそっくりだったからだ。
しかも、それは1年前にダイソンが発見したものだった。
数学と量子物理学が実は深くつながっていることが
明るみになった瞬間だった。
現在は数学界を超えて量子物理学界なども混じえて
リーマン予想の様々な解明のアプローチがなされているのだそうな。

2022年05月01日 ポアンカレ予想。
「数学者はキノコ狩りの夢を見る
 ~ポアンカレ予想・100年の格闘」を見た。
NHKの2007年の番組である。
「ポアンカレ予想」とは
(数学なのに)宇宙の形と構造を考えるもので
誰かが一本のひもをたらしながら
宇宙一周旅行をした時に
最後にスタート地点に戻ってきて
両方のひもを引っ張ったら、ひもは無事に回収できるだろうか。
もし回収できるなら、宇宙の形は穴やほころびがなく丸いに違いない。
といったものである。
例えばドーナツ形なら引っかかって回収出来ない。
それまで数学の世界というものは
アイザック・ニュートンが作った微分積分、微分幾何学が主流だった。
ところが、アンリ・ポアンカレのこの発問によって
数学界の最前線は位相幾何学(トポロジー)へと移行したのである。
トポロジーの世界では
ドーナツとティーカップは同じ形と考える。
穴は穴として残して、後の部分は粘土のように変形させて
同じものとして捉えるという。
だから、球も円錐も円柱もトポロジーでは同じ形なのである。
それまでの厳格厳密な微分積分、微分幾何学とは
全く違う数学世界と言っていい。
しかし、以後100年間
ポアンカレ予想に天才数学者たちが挑んだものの
ほとんどが返り討ちに遭うはめになる。
クリストス・パパキリアコプーロス
ウルフガング・ハーケン
ジョン・ストーリングスといった人たちである。
スティーブン・スメールは
宇宙が3次元より高い時空間だったらどうだろう
というアプローチで考えた。
一度高い次元を検証して
3次元へと降ろしていく手法で推し進めてみた。
しかし、解決にまでは至らなかった
ウィリアム・サーストンは
宇宙は丸くないとするとどんな形があり得るのだろうと考えた。
宇宙がどんなに複雑な形であっても
最大8種類の断片で出来ているに違いない。
1つは球体のような丸い形、
その他はドーナツのような穴の空いた形のバリエーションと予想した。
サーストンの幾何化予想である。
ただし、証明にまでは至らなかった。
そしてついに、グリゴリ・ペレリマンが登場する。
元々は明るく快活で、よく笑う天才少年だった。
ところが、研究者になり
ポアンカレ予想に挑み始めてから様子が一変。
人づきあいを避け、こもるような生活になる。
そして、しばらくして
彼はインターネットに
ポアンカレ予想の証明を掲載する。
2003年、アメリカプリンストン大学に招かれた
ペレリマンは
トポロジーの研究者たちの前で
ポアンカレ予想の証明を解説してみせた。
それが「リッチフローの三次元多様体への応用」というもので
トポロジーの考え方を全く使わないばかりか
それまで古いとされていた微分幾何学に
物理学のリッチフロー方程式を導入したもので
しかもエネルギーやエントロピーといったワードの入った内容に
会場にいたトポロジーの数学者たちは
何もわからずただただ唖然とするばかりだった。
それまで王座に君臨していたトポロジーが崩れ落ちる瞬間だった。
ペレリマンは
サーストンの幾何化予想
たとえ宇宙がどんなに複雑な形であっても
最大8種類の断片で出来ていることを証明してみせたのだった。
それは、ひもを無事に回収できるなら
宇宙の形は穴やほころびがなく丸いに違いないという
ポアンカレ予想が100年経って解かれた瞬間だった。
その偉大なる功績で
ペレリマンはフィールズ賞を受賞する。
しかし、なぜか受賞を辞退。
さらには数学界との関係を一切断って
行方までもくらませるようになる。
現在は、妹夫婦のいるスウェーデンに移り住んでいるというが
数学の研究をしているのかさえもわからないのだそうな。

2022年04月24日 ベルリンは晴れているか。
深緑野分さんの小説
「ベルリンは晴れているか」(ちくま文庫)を読んだ。
量も内容もとてもヘビーな作品で
Ⅰ0日間くらいかけて少しずつ読んだ。
深緑野分(ふかみどりのわき)さんというらしいが
Ⅰ983年生まれの女性の方らしい。
若いのによくもまあ
第二次世界大戦頃のドイツ、ベルリンの様子を
まるで見てきたかのようにこれでもかと活写していく力量は
ただただ驚嘆という他ない。
読んでいる途中
当時のベルリンを実際に体験してきたドイツ人の作家が書いたものを
翻訳されたものを読まされているという感覚を何度も持った。
それくらい事細かに、しかも生き生きと表現されているのである。
読み終わってから参考文献や謝辞を読むと
深緑さんが膨大な文献、小説、映像、
その他資料に目を通しているのがわかり
また、大学教授やドイツ人の方、考証の専門家、
当時の軍事に詳しい専門家に相談しているのもわかり
さらにはドイツに取材旅行までしているのもわかって
まるで司馬遼太郎、松本清張を彷彿とさせるような
徹底的な取材の上に、この小説が築かれているのが明らかになって
大変な熱量と才能を持った作家が現れたのだなと実感させられた。
この小説はドイツ語に翻訳して逆輸入させたら
ドイツの人は読んでどう思うのだろうとも思った。
読んでいる途中で
NHKのダークサイドミステリー「ヒトラー暗殺計画」も見たので
ここ10日間くらいは第二次世界大戦時のドイツ漬けだった。
あらすじ
ナチス・ドイツが敗戦し
米ソ英仏の4ヵ国統治下に置かれたベルリン。
ドイツ人の少女・アウグステは
恩人にあたる男性が
米国製の歯磨き粉に含まれていた毒によって
不審死を遂げたことを知らされる。
米国管轄の兵員食堂で働いており
殺害の疑いをかけられたアウグステは
KGBの前身・ソ連のNKVDのドブリギン大尉に引き渡され
無実を証明したければ
ベルリン郊外のポツダムへ向かい
男性の甥にあたるエーリヒという人物を探せと命じられる。
アウグステは止むなく任務遂行のために旅立つが
なぜか陽気なユダヤ人の元俳優
ファイビッシュカフカが道連れとなる。
圧倒的密度で書かれた歴史ミステリーが、ここに幕を開ける。

2022年04月17日 宇宙際タイヒミューラー理論。
NHKスペシャル「数学者は宇宙をつなげるか?」を見た。
副題は「abc予想証明をめぐる数奇な物語」である。
何でも2020年の春に、数学の難問「abc予想」が
京都大学数理解析研究所の
望月新一教授によって証明されたのだそうな。
その理論が「宇宙際タイヒミューラー理論」というそうで
今までの数学の概念を根底から覆すポテンシャルを持っているらしい。
論文内では数学界全体を「宇宙」と呼び
「劇場」「エイリアン」などというワードが出てきて
読んだ世界の数学者が「別の世界から来た論文のようだ」
と感想を述べるような代物で
「証明が理解できない」「いや絶対に正しい」と議論が噴出
世界中の数学者達が未だにざわざわしているのだという。
番組では数式を使わずにとんでもなく優しく解説していたので
中高の数学で落ちこぼれていた自分でも何となく理解出来たのだけど
実際は何も理解出来ないだろう。
以下、ウィキペディアの「宇宙際タイヒミュラー理論」の概要。
数学者望月新一によって開発された、数論におけるさまざまな予想、
特にABC予想を解く要件の考察により、
遠アーベル幾何などを拡大した圏の
宇宙際 (IC) 幾何を構想した数学理論である。
望月が2000年代に開発した、
p進タイヒミュラー理論、楕円曲線のホッジ・アラケロフ理論、
および、数論的log Scheme圏論的表示の構成等に続いた研究であり、
「一点抜き楕円曲線付き数体」の「数論的タイヒミューラー変形」を
遠アーベル幾何等を用いて「計算」する数論幾何学の理論である。
ノッティンガム大学で純粋数学の教授を務めるイヴァン・フェセンコは
IC幾何を遠アーベル幾何から派生した
新たな類体論に位置付けている。
……何のこっちゃ。(笑)

2022年04月06日 滝沢カレンさん。
ある番組で滝沢カレンさんが
「カレンちゃんはお花見とかされました?」と聞かれて
「それがあまりしてないんですよ。
 お花ま、くらいは出来たんですけど」
と答えて、周りのタレントが感嘆した、ということがあったらしい。
お花み、までは出来てないけど、お花ま、は辛うじて出来た。
秀逸である。
そう考えると、以下のような返答も考えられる。
「カレンちゃんはお正月はどうでした?」
「それがあまりお正月らしいお正月は出来なかったんですよ。
 お正がワン、くらいは出来たんですけど」
「カレンちゃんは連休はどうでした?ゆっくり出来ました?」
「それがあまり連休らしい連休は取れなかったんですよ。
 連ハチか連シチくらいは取れたんですけど」
「カレンちゃん、お肉どうでした?ジューシーでしたか?」
「お肉ですか?ジューシーまでは行ってなかったですね。
 せいぜいジュウサンかジュウニくらいの感じでした」

2022年04月02日 ゴッドハンド。
ジャンパーのファスナーがいかれてしまって
上にも下にも動かなくなってしまった。
そればかりかスライダーを挟んで
チャックが上下とも開いた状態になってしまって
にっちもさっちも動かない。
解決方法を検索していろいろやってみたものの
直る気配がない。
一晩放置したら直るかなと思ったけれど
案の定そんな夢のようには解決しなかった。
そこで思いついたのは
近所に洋服お直しの店があるので
そこに持って行ってみようというものだった。
店内に入ると腰の曲がったおばあちゃんが
箒を使って掃いていた。
「すみません」と声をかけると
店の奥からおばあちゃんの娘さんみたいな方がすぐに現れた。
「ジャンパーのファスナーが動かなくなってしまって」
「へえ。どれどれ」
その方にジャンパー手渡すと、ものの3秒くらいで
「はい、これでいいですか」と直してしまった。
「えーっ!」
あんなににっちもさっちも動かなかったのに、一瞬で……。
「料金はいりませんよ」
「あ、ありがとうございます」
ゴッドハンドだ。
家に帰って考えたのは
たぶんあの店の方々はおばあちゃんも含めて
衣服に対する愛情が違うというか
衣服の気持ちがわかるというか
何かとんでもないレベルに達しているのではないか、と思った。

2022年03月21日 たらの芽。
東京では桜も開花して、暖かくなってきて何よりといったところ。
今日はお惣菜屋さんに行って、たらの芽の天ぷらを買ってきた。
たらの芽はタラノキの新芽で、山菜の王様とも呼ばれている。
天然物ではないかもしれないけど、旬のものを食べるのはよいことだ。
よもぎ餅も買ってきたので、春を満喫しようと思う。

2022年03月05日 駅 STATION。
録画していた映画「駅 STATION」を見た。
主演、高倉健。監督、降旗康男。脚本、倉本聰。
「鉄道員(ぽっぽや)」もそうだったけど
北海道の雪景色の中、高倉健が佇んでいるだけで
それはもう映画なってしまう、というわけだ。
ましてや、脚本が「北の国から」の倉本聰である。
物語も「セラヴィ(これが人生)」というような内容で
場面場面が「ああ、昭和だ」と思わせるガジェット満載である。
昭和に作ったのだから無理に昭和にしたわけではないのだろうけど
映っている車1つとってみても
最早、旧車と呼べるようなものがゴロゴロ置いてあって
現在見ると味わい深いことこの上ない。
そして、今回見て一番驚いたのが
高倉健と倍賞千恵子が2人きりの居酒屋でお酒を飲む場面
昭和54年の大晦日の紅白歌合戦を見ているのである。
それが拙作「くしゅん!」と全く同じ設定で
あさみとゆうたが宇都宮のユニオン通りで
紅白の美空ひばり良かったねと話している頃
北海道の銭函で高倉健と倍賞千恵子が寄り添っていたのかと思うと
どちらも物語上のことと差し引いても感慨深かった。
それにしても、昭和54年の紅白は
出場歌手、楽曲を少し挙げるだけで震える。(笑)
石野真子「ジュリーがライバル」
郷ひろみ「マイレディー」
渥美二郎「夢追い酒」
サザンオールスターズ「いとしのエリー」
ツイスト「燃えろいい女」
沢田研二「カサブランカ・ダンディ」
布施明「君は薔薇より美しい」
金田たつえ「花街の母」
ゴダイゴ「ビューティフル・ネーム」
サーカス「アメリカン・フィーリング」
フランク永井「東京午前三時」
千昌夫「北国の春」
さだまさし「関白宣言」
北島三郎「与作」
小林幸子「おもいで酒」
山口百恵「しなやかに歌って」
ジュディ・オング「魅せられて」
西城秀樹「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」
八代亜紀「舟唄」
美空ひばり「人生一路」
しかも、この年の紅白は
松山千春が「紅白はこたつで見るものだから」
と出場を辞退したり
前の年に出場を辞退したピンク・レディーが
この年は出場を熱望したのに認められなかったり
と何かと話題が多かった。
というわけで「駅 STATION」を堪能した。

2022年03月05日 本。
山奥でも海辺でも鄙びた温泉旅館に
1週間ほど滞在するとなった時
本を3冊だけ持っていける場合
誰の何の本を持っていくか。
ちなみに部屋にテレビはあるけど
NHKと民放2局しか映らず
パソコン、スマホ等は使えないくらいの環境で。
えーっ、スマホなしでは生きていけませんよー
という声が聞こえてきそうだけど
そういう方は参加しなくて結構です。(笑)
で、どの3冊にするか、と考えるだけで
2時間は酒が飲める、という話。
まず、既読のお気に入りの本を持っていくか
未読の良いと思われる本を持っていくか。
小説以外の本をどの程度持っていくか。
全部小説以外の本、という選択肢もあり得る。
ま、こういうのは本好きの人それぞれに正解があって
その時々で答は変わるものだろうけど
1つ言えることは
こういうところに名前が挙がってくる本こそ
本当に読むべき価値のある本で
テレビやスマホやゲームが束になってかかってきても
決して負けるものではない、ということだ。
読書をするという行為の可塑性は自分の内にあるのであって
そこが他のメディアとは決定的に違うところ。
ドラマや映画であればほとんど同じものを見ていると言っていい。
だが、本の場合、同じ本を読んでいても
果たして同じものを読んでいるとは限らないのである。
例えば読者は大工さんと喩えると
本は設計図、読書体験は出来上がる現物の家である。
大工さんの腕前によって
出来上がる家はいかようにも変わるのである。
と、むつかしい話は置いといて
持っていく3冊、どの本にするか
ウイスキーでも傾けながら考えますか……。

2022年03月05日 ゴッド・ブレス・ウクライナ。
プーチンはKGBの諜報部員だった頃
東ドイツのドレスデンに住んでいた。
西ドイツにも旅行目的で入国することもできる立場だった。
近隣住民から見て
(近隣住民はKGBと認識していたかどうか知らないが)
穏やかで物静かな人に見えたという。
ところが、1989年、「ベルリンの壁崩壊」が起こる。
程なくドレスデンでも約5千人の市民が
東ドイツの秘密警察「シュタージ」を占拠した。
「私達は自由だ!私たちは自由だ!」と叫びながら。
シュタージ(秘密警察)はナチスでいうところの
ゲシュタポのようなもので
市民の言動を常に監視し
意にそぐわぬ者は牢に入れるようなことをしていた。
そして、いよいよ市民はKGBにも押し掛けた。
その時、プーチンは1人表に出て
銃で市民を脅し、「ここはソビエトだ」と退散させながら
同時に保管していた書類をシュレッダーにかけていたという。
万が一、市民の手に書類が渡れば
自分の命が危ないと思ったのだろう。
ここにプーチンのウクライナ侵攻における原体験が見える。
自由を訴え、体制を突き崩す民衆はプーチンにとって
自分の生命や財産を脅かす存在でしかないのである。
今まで緩衝地帯として機能していたウクライナが西側の手に落ちれば
ベラルーシはおろか本国ロシアでさえも
市民が自由を求めて一斉に蜂起しないとも限らない。
もしそのようなことが起きた時が
大統領を降りるだけでは済まされない
自分の身に危険が迫る時なのである。
何しろ今まで積み上げてきたことは
シュレッダーで消し去れる量ではないのだから。
その恐怖から、プーチンは軍の兵士を動かしている。
無理な体制を維持し、抑制を国民に強いる者は
自国民が蜂起することを実は最も恐れているのである。

2022年02月26日 ドライブ・マイ・カー。
本棚から村上春樹さんの「女のいない男たち」を見つけてきて
「ドライブ・マイ・カー」を読んだ。
へえ、こんな話だったのか。
すっかり忘れていた。
村上春樹さんのほとんどの小説に出てくる主人公は
カオスな状況、またはカオスに巻き込むような人達が苦手である。
主人公にとって、それは理解し難い異物、他者であり
極力そういう物、者達を避けるべく振る舞っているように見える。
例えば食事1つに関しても
村上春樹さんの主人公は
朝食はトーストとスクランブルエッグとサラダ
昼食はパスタとサラダ
夕食はお決まりのバーでビールを飲む、みたいな人が多い。
自分の規律の中での、他者に乱されないルーティンを好む。
朝食に奥さんから目刺しとなめこの味噌汁が出されたり
夕食に上司に誘われて赤ちょうちんで煮込みを食べたりする
ような状況は圧倒的に苦手なのである。
村上春樹さん自身も香川で讃岐うどんの有名店に行った折
お店の人にネギは裏の畑で自分でネギをひっこ抜いて洗って
自分で包丁で刻んで入れて食べて
みたいなこと言われて目が点になった
ということがエッセイに書かれていた。
「すげえところだな」と
村上さんらしくないセンテンスで感想が記されていて
その言葉がすべてを表しているように思える。
村上春樹さんの小説のクロニクルを見渡すと
主人公が異物(親しい人の中の他者)を認識して苦悩する
主人公が異物(親しい人の中の他者)を認識して排除する
主人公が異物(親しい人の中の他者)を認識して咀嚼する
という流れの中で移行しているように感じる。
「「ドライブ・マイ・カー」は
異物(親しい人の中の他者)を認識して咀嚼する系の作品であり
その咀嚼の仕方が万人にとって
ある種の励ましとなっているので
その辺の結局何が書いてあるんだかわからない文学より
明らかに栄養価が高い、というわけだ。

2022年02月19日 オスカー。
映画「ドライブ・マイ・カー」が
アカデミー賞にノミネートされて話題だけど
原作の短篇小説「ドライブ・マイ・カー」は
村上春樹さんの「女のいない男たち」所収である。
「女のいない男たち」は出た時に読んで
良かったという印象はあるのだけど
「ドライブ・マイ・カー」をはじめ
短篇集の小説すべてどんな小説だったか忘れてしまった。
でも、最近思うのだけど
忘れるって、素敵なことですよね。(笑)
で、アカデミー賞(通称オスカー)の作品賞の決め方なのだけど
このように決めるそうだ。
審査員は1つの作品に投票するのではなく
全部の候補作に順位をつける形で投票する。
開票して1位に挙げた人が最も少なかった作品が振り落とされ
その作品を1位に入れた人の票は
2位の作品を1位に繰り上げて再び数え直す。
そして、場合によってはそれを何回か繰り返し
1位が過半数に達したところで
その作品が受賞作となる。
あまり聞いたことのないような決め方だけど
妥当なところに落ち着くのがこの決め方の利点で
たとえ一部の人を裏で買収したとしても
そう思い通りに事を運ばせないやり方なのかもしれない。
よく考えたものだ。

2022年02月12日 橋づくし。
三島由紀夫の短篇小説「橋づくし」を読んだ。
芸妓の小弓、かな子、
料亭の娘の満佐子(まさこ)、女中みな、の4人が
「旧暦8月15日の晩、7つの橋を渡ると願いが叶う」
という願掛けにチャレンジする。
ただし、願いが叶うのは、以下のルールを守れた者のみ。
・同じ道を二度通ってはならない。
・終えるまで願い事は口に出してはならない。
・最中、知り合いから話しかけられたらそこで終わり。
・橋を渡る前と渡った後、計14回、手を合わせて願う。
初めに言ってしまうと
4人にのうち3人は何かしらの理由で失敗し
1人だけがチャレンジに成功する。
何とも粋な話なのである。
これを他の作家が描いたならば
味わい深い温かい話になったのではないだろうか。
ところが、そこは三島由紀夫だから
読者をそういう安穏とした場所には連れて行かない。
まず、出てくる4人ともが
読者から見て心を寄せられるようなキャラではない。
そして、4人中3人の願い事は何というか下衆なのである。
つまりは最高にロマンチックな設定を作っておいて
それに見合うような人間をわざと置かない。
それが三島由紀夫なのである。
ただ、三島は
初めからそういう風に描こうとしたのではなく
着想を得て実際に街を歩いてみたら
橋や街並みが醜悪に見えたので
結果、そうなったのだ、と言っていたという。
発表されたのは昭和31年。
戦後復興から高度経済成長へと向かう中
三島の目には、街や人がかくも醜悪に見えた、ということか。
というか、当時の三島は日本のどこをどう歩こうが
そういう風に見えたのではないだろうか。
そういう風にしか見えなかったからこその
あの行動なわけで
戦後、日本という自我が崩壊したことへの怨嗟
そして、新たな自我(三島からしたら脆弱な自我)
が築き上げられていくことへの受け入れられなさ
というものを一種極限的な形で突きつけたのが
三島由紀夫という人なのではないだろうか
などと「橋づくし」を読みながら考えた。

2022年02月06日 継体天皇。
継体天皇に関する番組を見た。
高校生の時、歴史にとても造詣のある友達と
1年に1回くらい一緒に帰る日があったのだけど
ずーっと継体天皇の話を自分に話してくれた時があった。
あまりにレベルが高過ぎて
自分にはちんぷんかんぷんだったのだけど
今回、歴史学者の磯田道史さんが番組に出ていて
十代の時に継体天皇が葬られているとされる
三嶋藍野陵(みしまのあいののみささぎ)に
どうしても行きたくて行ったなどと話していたのを聞くと
ディープな歴史マニアには
継体天皇というのは魅力的なのかもしれない。
で、継体天皇なのだけど
確かに歴代天皇の中では異色の経歴のようだ、
少し前の雄略天皇が織田信長みたいな感じで
一族のライバルの皇子をほとんど倒してしまった。
それで、武烈天皇の後に継ぐべき近しい親族の皇子が
見当たらなくなってしまったという。
そこで、大伴金村がスカウトしてきたのが
5代上にさかのぼって、その兄弟の末裔である継体天皇だった。
当時は母親の実家がある若狭の方を統治していた。
にしても、5代上にさかのぼって、その兄弟の末裔なんて
本当に遠い親戚である。
そして、継体天皇は即位を了承するものの
20年近く大和に入ることはなかったという。
大阪周辺に居場所を作り
大和朝廷とは文字通り距離を置いていた。
番組で識者達は
豪族は大伴氏だけでないので命を狙われないようにしていた
前天皇の側近がいるのでそういう人達がいなくなるまで待っていた
交通の要所大阪を押さえて経済を握ろうとしていた
などと推測を述べていた。
どちらにしても、とても用心深いクレバーな人だったのだろう。
20年経って抵抗勢力が一掃された頃、大和に入る。
入った途端、九州で磐井の乱が起き
何とか平定に漕ぎ着き、大和朝廷を盤石のものにしたという。
徳川家康みたいな天皇といったところか。
大伴金村の人を見る目は間違ってなかったのである。

2022年01月29日 山登り。
ある記事で読んだのだけど
オーストラリアやニュージーランドの山登りのコースは
メインルートであるにも関わらず
山頂に上ることが含まれていないことがあるそうだ。
あるそうだなのではなく、むしろ多いそうなのだ。
オーストラリアやニュージーランドの人達は
山頂はあくまでも「数ある寄り道の中のひとつ」
くらいの認識しかないらしい。
山頂を目指すことイコール登山である
と日本人は頑なに考えがちだが
実はその考え自体が
非常に凝り固まった考えなのではないか
と気づかされる話である。
「引き返すのも登山のうち」などとという
言葉の中にも
山頂に登らない限りは価値がない
という考え方が含まれている。
そう考えると
柔道選手が「金メダル以外すべて同じです」
などと言っていたのを思い出すと
その意気込みたるやとても立派だけれど
人間としての深みという点ではどうなんだろう
と思ってしまう。
何でも1番じゃなきゃ気が済まない
自分は最高の景色を見たい
というのは
そもそも「子どもの考え」なのではないだろうか。
というのも
「ライオンのおやつ」の話に戻るのだけど
あそこの入居者の人達は
頂上に登るという行為自体すべて断たれた人達である。
頂上を目指すことのできない日々は
頂上を目指すことのできる日々より価値はないのだろうか……。
「花は盛りに、月は隈なきをのみ、見るものかは」
山頂に登ろうが登るまいが気にしない
オーストラリアやニュージーランドの山登りのコースこそ
成熟した社会の体現、なのではないだろうか。

2022年01月22日 戸山高校。
で、戸山高校って名門校だったんだ、と思って調べてみたら
卒業生がすごいことになっている。
石川忠久(漢文学者)
磯村尚徳(ニュースキャスター「ニュースセンター9時」)
奥山和由(映画プロデューサー「ハチ公物語」)
乙武洋匡(スポーツライター「五体不満足」)
風祭ゆき(女優)
片瀬那奈(女優「シューイチ」)
川嶋辰彦( 経済学者、紀子様の父)
栗本慎一郎(経済人類学者「パンツをはいたサル」)
千家元麿(詩人)
高橋昌也(俳優)
多湖輝(心理学者「頭の体操」)
滝田裕介(俳優「事件記者」)
竹山道雄(作家「ビルマの竪琴」)
東條英機(元内閣総理大臣、陸軍大将)
中勘助(作家「銀の匙」)
長塚圭史(劇作家「阿佐ヶ谷スパイダース」)
浜矩子(経済学者)
浜口庫之助(作曲家「バラが咲いた」「空に太陽がある限り)
林望( エッセイスト「イギリスはおいしい」)
藤巻忠俊(漫画家「黒子のバスケ」)
星野智幸(作家)
細川隆一郎(政治評論家)
増田寛也(元総務大臣、元岩手県知事)
森永卓郎(経済アナリスト「ミヤネ屋」)
柳澤桂子(生命科学者)
山口崇(俳優「クイズタイムショック」)

2022年01月19日 戸山高校演劇部さん、サンクス。
で、BSテレ東「THE名門校」を見た。
「皆殺しのレイチェル」の稽古シーン満載で
自分的にはとても楽しめた。
川島部長さんをはじめ
戸山高校演劇部の皆さんには
本当によく取り組んでくださっていて感謝申し上げたい。
難関大学合格を掲げているような進学校は
軒並み勉強に追われて
お芝居を作るのにかけられる十分な時間が確保できない。
かつての宇都宮東高校のことを思い出しても
例えば40日稽古をしたいと思っても
そのうち30日くらいは、まず人が揃わない。
勉強に追われている生徒には追試や塾があり
余裕のある生徒でさえ
特別なプログラムや課題が用意されていたりする。
そして、何も決められない進まないまま
時間だけが過ぎて行き、大会の日が非情に迫ってくるのである。
今回の戸山高校演劇部の姿は
まさにかつての宇都宮東高校演劇部の姿そのものだった。
一生懸命取り組んではいる、誰も悪くはない、
でも、芝居にかけられる物理的時間が圧倒的に不足しているのである。
今回の「THE名門校」は、進学校の演劇部の実態を
ありのままに映し出していて
本当に意義深いものになっていたと思う。
「セリフを覚えると、覚えた英単語を忘れていくーっ」
番組で少女が叫んでいたけど
本当、そういう状況なのである。

2022年01月11日 THE名門校。
先日、東京都立戸山高等学校演劇部の部長さんからメールがあって
BSテレ東「THE名門校」という番組に
「皆殺しのレイチェル」の練習、公演の様子を出していいですか
というものだった。
もちろん「どうぞどうぞ」と答えたのだけど
「THE名門校」……そんな番組があったことすら知らなかった。
きっと学校紹介みたいな番組で
授業の様子や学校行事、
いくつかの部活の様子なども合わせて紹介するのかな
などと思っていたら、どうやら違っていて
戸山高校演劇部の様子をまるまる30分やるらしいのだ。
これは楽しみである。
皆さんも是非見てみてください。

1月17日(月)22時
BSテレ東「THE名門校」

「THE名門校」HPの予告の文章から。

「新宿戸山…1年ぶりの演劇発表会に挑む!」
今回の主人公は
今年で創立134年目を迎える
東京都立戸山高等学校の演劇部部長
川島有彩さん高校2年生。
女子生徒5人の演劇部を導く川島さんが挑むのは
クリスマス発表会。
コロナ渦のため人前での発表会は1年ぶり。
ところが
勉強との両立ができずにセリフが覚えられない1年生部員や
本番前日に突然調子を崩してしまう2年生部員など
トラブルが続出。
それでも部員たちを信じて励まし続ける川島さん。
無事1年ぶりの発表会を成功に導くことができるのか…?
演劇に青春を賭ける女子生徒たち5人の奮闘を追いました。

2022年01月07日 フェアトレード。
オミクロン株が主な原因か欧米、中東では
2回ワクチン接種したにもかかわらず感染する
ブレークスルー感染が起きている。
これを受けて日本でもワクチンの3回目接種
ブースター接種が始まっている。
イスラエルでは4回目接種(何接種と言うのだろう)
が始まるそうだ。
ところが先進国のワクチン接種状況とは裏腹に
発展途上国ではⅠ回目のワクチン接種も
儘ならない国も多いそうなのだ。
変異株はそういう発展途上国で
生まれる可能性も高いそうで
どんなに先進国がブースター接種をやろうが
発展途上国にもワクチンを回さない限り
根本的には解決しないということである。
今回の新型コロナウイルスに関わることで
一段と露わになったのが
「大貧民」のトランプゲームのごとく
先進国が常に良いカードを手に入れ
発展途上国に常に悪いカードが回される
ような仕組みである。
しかし、先進国が「大貧民」というゲームに興じているつもりでも
実は誰も勝者のない「神経衰弱」というゲームに
それこそ変異ではないが
取って変わられているのが現在のこの状況ではないか。
フェアトレードのような考え方
適正な賃金の支払いや労働環境の整備などを通して
生産者の生活向上も図ることを目的に
発展途上国のような経済的社会的に弱い立場にある生産者と
経済的社会的に強い立場にある先進国の消費者が
対等な立場で行う貿易。
そういう視点に立って旗を振れる人こそ
これからの世界に切実に求められている
真のリーダーであり、救世主なのではないだろうか。

2022年01月04日 名建築で昼食を。
録画していたドラマ「名建築で昼食を」を見た。
主演、池田エライザさん、田口トモロヲさん。
全10回+スペシャル1回。
2021年「日本民間放送連盟賞テレビドラマ番組部門優秀賞」受賞。
実はこのドラマの原案になっている本
「歩いて、食べる 東京のおいしい名建築さんぽ」
甲斐みのり・著(エクスナレッジ)は既に持っていて
再放送したら絶対見ようと思っていたので
今回も本当にタイミングがよかった、というわけである。
全体的な印象としては
ナイーブで内省的なドラマだと思った。
広告代理店で雑用のような仕事をしている春野藤(はるのふじ)は
将来、友達とカフェを開くことを心の支えにして
やや鬱々とした日々を過ごしている。
そんな中でたまたまSNSで知り合った
植草千明(うえくさちあき)という正体不明のおじさんと
名建築を巡り、ランチを共にする中で
少しずつ心のわだかまりが解消されていく姿が描かれていく。
池田エライザさん演じる藤と
田口トモロヲさん演じる植草が
互いに他人の心に土足で侵入しない
とてもナイーブなキャラクターを演じており
また、名建築という空間に包まれて
設計した建築家の微に入り細に入る技巧や
骨のある思想を目の当たりにする中で
特に藤が生きることに大切なことを掴んでいく。
とても洒脱で、素敵なドラマだった。
スペシャルではゲストで加藤登紀子さんが出て
今度は植草にとって、とても大切な役を演じていた。
ドラマに出てきた建物
自由学園明日館
東京都庭園美術館
目黒区総合庁舎
ビヤホールライオン銀座七丁目店
アンスティチュ・フランセ東京
山の上ホテル
旧白洲邸武相荘
国際文化会館
国際子ども図書館
神奈川県立図書館
神奈川県立音楽堂

2022年01月02日 あけましておめでとうございます。
隣のネコの三吉がうちのささやかな庭を歩いて来た。
よっ、と手を上げると、何やら感慨深けにこちらを見て
少し近づいてきたかと思うと
いろいろ点検して回らないといけないんですよ
私は私でいろいろとやることがあって
お正月だからってのんびりしてるわけにはいかないんですよ
という風に向きを変えてゆっくりと去って行った。

あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

゜☆。★゜☆゜★。☆゜
★゜☆。\│/☆。★゜
   HAPPY
  NEW YEAR
。☆゜★/│\★゜☆。
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